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乙武さんのYouTubeちゃんねるを拝見していたら、左手が無い女性が紹介されていて綺麗だと思ったので、その事について考えていきたい。
動画は上のリンクから見てもらうとして、内容は乙武さんが東京にある欠損バーという、腕や足がない女性がキャストになっているキャバクラ的なお店に行って、そこで働く女性にインタビューするとい感じ。
今回の動画だと、左手がない女性がでてくるのだけど、動画を見て貰えばわかると思うんだけど、綺麗なんだよね。この女性が美人というのもあるけど、腕がない美みたいなのがある。
性的なフェチズムで欠損のある人が好きというジャンルがあるのだけど、それとはまた違うんだよね。そういうフェチはフェチでいいのだけど。ぼくも、あるからね、好きな性的ジャンルが。話が脱線しすぎるから書かないけど。
ようは事故なり病気なり、あるいは先天的に体が欠損していて、一般的には醜いとされそうなものだけど、逆に美しいんだよね。
ありのまま的な美しさというか。
日本の商業広告とか映画とかのデザインがダサいわけじゃん。これが、どうしてかというと人工的な美みたいなものを並べるじゃん。例えば、映画でも若い美しいジャニーズとアイドルの恋愛映画とか、そういう感じじゃん。一見、美しいんだけど、深みがゼロだから、逆に醜い、そしてダサいという感じになる。
欧米の一流ブランドとかの広告とか、わざと汚い感じにしている。狙ってるんだよね。完全に整ったものに美は宿らないんだよね。すごい美人の顔とか、みると、左右で目の大きさが違ったり、何かしら欠点がある。完全は、本当に汚い。不完全性にしか美の神は降臨しないわけですわ。
ここが欧米と日本のデザインの差です。あえて汚せるか、ですわ。
動画に話は戻って、欠損した女性が欠損を義手で隠して生きてきたのだけど、最近は、義手もしないで、出して欠損部を露出して生きている、というのだけど、ほんと、それで良いと思うんだよね。周りもはじめはビックリするだろうけど、慣れてないないだけからね。
人は、その欠損により、美しいんです。欠点は隠す必要はないんだよね。■