The Catcher in the Rye

日記ブログです。気が向いたら読んでいってください。

令和男子にとって恋愛と結婚は修行である理由

 

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修行。この単語を聞いてあなたは何を思い浮かべるであろうか? ぼくが想起するのは最近ヒットした漫画「鬼滅の刃」の修行シーンである。

 


 

物語の中、主人公の少年が、悪の吸血鬼を倒すために、山にこもり過酷な修行をするのだ。努力、ボロボロになりながらも鬼となった妹を人間に戻すために頑張る。その姿に読者は心を打たれる。

 

これが僕の修行のイメージである。

 

それで、この令和時代の男子にとって恋愛とか結婚は、修行、だと思うんですよね。今の時代、幼少の頃から、男女平等と育成されてきて、いざ大人になって恋愛を始めましょう、となる。映画やドラマで、綺麗な女優さんとイケメンの男優さんが楽しそうに恋愛をしているのを見てきました、と。

 

だけど、実際に恋愛になると、男は大変なんだよね。まずデートするにも地方だと自動車を用意しないといけないし、デートの代金も当然のように男性持ち。デートしてホテル誘ったら体目当ての変態だとセクハラで訴えられる。デートだって毎回、女性に気を使わないといけない。楽しませないといけない。女性が旅行行きたいと言ったら、旅行代金も何十万円とするわけで、それも用意しないといけない。

 

次に結婚したらしたで、今度は男が家を用意しないといけない、子供の生活費を用意しないといけない。その上で男女平等時代だから、家事も育児もしないといけない。嫁は家で主婦をしていて、旦那の給料が低いと怒って、そこに対しても、対処しないといけない。会社でも大変、家でも大変、救いの空間は会社帰りに寄るコメダコーヒーのシロノワールだけ、みたいな。

 

フェミニスト様は、男尊女卑で女性は痴漢にあって仕事に差別されて日本に生まれて死にそうです、というけど、死にそうなのは男だからね。実際、自殺してるのも男ばっか。

 

だから、令和男子にとっては、結婚とか恋愛って修行だと思うんだよね。そこを楽しい作業だと思って突っ込むと「こんな筈じゃ無かった」となるんですよ。

 

令和時代、男性にとって恋愛と結婚は修行なんです。■