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令和時代の学歴論を考えたい。
日本は学歴社会と言われるけど、その学歴が持つ意味というのは「良い大学はいると、新卒で良い会社に入れる」という部分にある。逆に言うと、良い会社に入る人生を目指さないなら中卒で良い。
例えば、サッカー選手になるなら、中卒でいいわけだ。一般的な教養なら、中学までの学習で十分身につくし、プラスアルファの教養が欲しいなら、自分で本でも買って勉強すればいい。新書買うとか。
だけど、自分の目的が良い会社に入る、例えば電通とか丸紅とか誰でも知っているような一流企業に入社したいなら、学歴がいるんだよね。一流企業入りたいなら、東大か早稲田か慶應、このへんに入らないと無理なわけだ。
だけど、逆にそれほど有名じゃないけど、きちんとした会社に入りたいというレベルなら、どこの大学でもきちんと勉強さえすればいい。
それにスキルで生きていこうと思うなら、エンジニアとか、弁護士とか会計士になるんだったら資格やスキルが大事なわけで、学歴はどうでもいい。
あと、大学の先生を目指すというなら、やっぱ東大とか行かないと厳しい。
つまり学歴なんていうのは、自分がどう生きたいのか? なりたいのか? そこを決めないと意味あるのか、ないのか、わからないんだよね。人それぞれだよね。
良く考えることだよね。自分がどうしたいのか。
社会に出ても、東大でました、みたいな自慢してる人いるけど、意味ないんだって。そんなん。人によって目的が違うんだから。じゃあ、その東大生が学歴ない人を馬鹿にしたとして、でも、ZOZOタウンの前澤さんとかだと、中卒とか高卒だけど、何百億って稼いでるわけで、学歴は手段であって目的じゃない。
それに、今の時代、リストラも多いから、良い会社入ったら、絶対安定じゃないわけじゃん。昔は東大でて銀行員なったら人生安泰みたいな、感じで言われてたけど、今は銀行がIT技術で人がいらなくなってきてて、リストラしてるわけだよね。
だから正解なんか分からないから、自分で考えて、自分が正しいと思うことをするしかないんだよね。
だから、勉強できないでも絶望する必要ないわけで。人それぞれ、自分が信じる道を行くことが大事だな、って思います。■