最近読んだニュースで、顔にアザがある女子大生が、外見で可哀想だと思われる事が辛い、ゆえに、だからこそ、インスタグラムで自分の顔を投稿している、、、というものが印象に残った。
我々は、道徳として幼少のおりより、「人間は外見では無く、中身だっ!!!!」と教えらえ育つ。
外見で人を判断、区別する事は下品である、、、と。
しかし、だ。実際問題、容貌によって、あらゆる格差が生まれるのも、また事実である。
テレビをつければ美しい女優や俳優、アイドルが、評価されているのは、事実だ。
これは、もう、我々は道徳はともかく、人間を容貌で差別しているという事を、もう認めざるを得ない。
得ないのだけど、しかし、思うのだ、俳優や女優、アイドルといった外見で売っている職業はともかく、そうでない仕事にまで容貌を重視する我々の社会は、如何なものか? と。
我々の容貌は、誰であれ年齢とともに衰えていく、つまり、誰しもが、容貌によって差別されるサイドに回っていくのである。
なんか、もう、容貌至上主義の価値観は、つまるところ、我々の首を、自ら締めている、としか思えない。
外見を売りにする仕事があっても良ろしいと思うし、恋愛やらで見目麗しい人間が人気なのも良い、と思う。
だが、それ以外の仕事で、生活で、あまりに外見を重視する社会は、非常に息苦しさを感じる。
もう、少し、顔顔、いうのを、やめませんかね? と思ったりする。
例えば、女子アナにニュースのように顔にアザのある女性がいても良いではないか? と思うのだ。
ニュースをしっかり伝達できれば良いのではないか?
コンビニの店員に、病気や事故で顔が潰れた人間がいても良いではないか、と思うのだ。
きちんとレジの仕事ができておれば良いではないか? と。
行き過ぎた外見至上主義は、我々に跳ね返ってくるのだから。
人間は、自分自身に、復讐される。
他者ではなく。。。⬛️