人は幸福になりたい、と思って生きていると思う。とりえあえず、そう仮定する。
それで、ここからが、難しいのだけれど、結局人によって、幸福が違うわけじゃんね?
例えばAという状況が幸福な人もいれば、Bという状況が幸福な人もいるわけで、
つまり、自分の幸福は、自分で決定しないといけない。
他者や世間の価値観で、幸福とされていることをやっても、自分が幸福とは限らない。
だから、難しい。
日本人の特徴って、他者を見下す部分だと思ってるんだけれど、例えば、仕事でも清掃のオジサンがいれば、街ゆくエリートが清掃のオジサンを見下すみたいな。
でも、清掃のオジサンは清掃のオジサンで納得して生きているなら、幸福なわけじゃんね? エリートに見下される言われはないっすわな、って思うんだよね。
そもそもエリートが何か? って言われても難しいけど、エリートはエリートで日々競争なわけで、精神擦り減らしてるわけじゃんね。そのエリートの立場を失う恐怖もあるしさ。
イケメンや美人が良いっていうけど、日々、人は老化していくし、持ってるものを消失していく恐怖もあろうし。
結局、他者の幸福は、その他者にしか分からないし、自分の幸福は自分にしか分からない。であるなら、比較しても意味がない。
見下しても、羨まれても、どうでもいいんだよね。
結局、人生なんか、自分が、どう思うか、それだけじゃんね。他人の評価なんか、どうでもいいし、他者の人生を評価する人がいるけど、クソどうでもいいじゃんね。自分の人生を、しっかり見つめて生きて、勝手に死んでいけ、って話じゃんね。
どうであろうかね?■