ツイッターでイジメに関する、ある呟きを読み考えさせられた。
そのツイートの内容は、小学生の娘のいる父親のもので、彼女の通う小学校でイジメがあった。
それで、その娘さんはイジメのターゲットである生徒を、助け毅然とイジメに立ち向かったのけれど今度は自分がイジメのターゲットになってしまう。
また、以前のイジメのターゲットだった生徒も彼女に対するイジメに加わった。
心配した父親は、学校に掛け合いイジメを終息させるのだけど、娘さんから、天真爛漫さ、が失われた、と書く。
うーーーーむ、である。
確かに、このような経験をしたら大人でもショックを受けるであろうし、子供なら尚更であろう。
だけれども、だ。この件を受けて、彼女から天真爛漫さ、換言すれば、生きる明るさ、というものが失われる、とは私には思えない。
人間は生きていく上で自分に対する自己肯定感、が必要だと私は思う。言うなれば自分の自分に対する信頼感や自信みたいなもん。
一般的には、その自己肯定感とは、イケメンや美人なら、その美貌であったり、勉強ができる仕事ができる人なら知性であったり、お金持ちであったら、その財力であったり、するとされている。
何か自分が他者より秀でたモノがあるという自信が自己肯定感を育む。
だけど、人が自分を自己肯定する時に、本当に必要なものは何か?
ここを突き詰めて考えていくと、自身の歩んできた過去の自分に対する信頼、だと思うのだ。
それは人生に成功した、失敗した、あるいは人と比べての優劣でもない。
人生における、困難な時に、自分がどういう行動をとってきたのか? という事なんだと思う。
自分自身の行動を、もっともよく理解している、熟知しているのは「自分自身」だ。
このイジメのツイートの彼女は、イジメにあっている人間を勇気をもって助けた。その結果、自身がイジメのターゲットにあった。
確かに悲惨な経験だ。
だが、しかし、である。
彼女がした行動には、一点も恥じる部分は無い。結果、不遇になったとしても彼女の決断は立派なのだ。
そして、その事を、「彼女は知っている」のだ。自分自身が間違っていない事を。
つまり、自己を肯定できる。こういう積み重ね、それが本当の自信を自分の精神に形成していく。
だから、彼女は天真爛漫さ、を失わないし、自己肯定感を、より強固にしているはずだ。
だから、彼女は立ち直れるし、また自分の人生と戦える。
人間は、過去の自分に復讐される生き物なのだから。⬛️