最近、ネットで読んだ朝日新聞の
「顔ニモマケズ、僕は生きる 内面好きと言ってくれた彼女」という記事が考えさせられた。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK410236K30UTFS004.html
この記事はトリーチャーコリンズ症候群
という顔が変形してしまう病気に罹患している男性を取材した記事だ。
子供の頃から周囲から見た目のために奇異の目で見られ、学校や社会に上手く馴染めたかった、そして今でも心理的につらいが、現在筑波大学大学院で障害者について研究しており、その経験をいかし研究者になりたいと彼はいう。
また、その外見コンプレックスにもかかわらず彼は高校時代には彼女もおり、現在も結婚を目指している。
うーーーーむ。
立派な青年だ。外見コンプレックスにもかかわらず強く逞しく生きている。
私なんか彼みたいな痛みを知る人こそ政治家やら研究者になって世に出て欲しい。
私が彼に思ったのは、
彼は結婚願望が強いが、
恋愛や結婚なんか諦めれば楽になるのにという事だ。
彼の容姿が、どうとかで彼女ができない
結婚ができない、とは思わない、世の中、いろんな女性がいて彼を愛する人間もいるはずだ。
しかし、問題は彼は自分にコンプレックスがあるということだ。そのため、当然だが恋愛に臆病になっている。
であるなら無理に恋愛なんかする必要なんかないと思うのだ。ストレスになるだけだ。
現代は結婚しない恋人もいない人なんかザラにいるし子供がいないからダメってわけでもない。
それに容姿が悪くて困ることなど、はっきりいって恋愛ぐらいではないか?
例えばコンピュータのエンジニアがいて
その彼や彼女のスキルや成果物を気にする人がいても容姿を気にする人などいないであろう。
この病気の彼も、わざわざ接客業のバイトみたいな容姿が強く問われるバイトに応募しているが、意味がわからない。
接客業なんて綺麗な容姿の人が有利に採用される仕事ではないか?
わざわざ、なんでそこに行くのか?
意味がわからない。
また恋愛や結婚にこだわっているが、
恋愛してても結婚してても子供がいても不幸な人間なんかザラにいる。
結局、恋愛や結婚、子供の有無で我々、人間の心は救われないし幸福にはなれない。
人間というのは心に大きな闇を誰しも抱えて生きているのだ。幸福に見える人間がいても、見えない闇を抱えている。
でも彼は結婚や恋愛が幸福と思っているふしがある。でも結婚が彼の心の救済になるかといえば、それは違うと思う。
もっというと人間の心の救済とは他者との関係性に依存する恋愛の中に存在しない。
じゃあ、どこにあるかと言うと難しいが
自分がしたい何かをしている、他者との関係性に依存しない自己実現にあるって私は思う。
他人から、どう思われようと、自分のしたい道を進む、苦しいけど、それが人間の幸福なんではなかろうか?
その自分がしたい道を進む道中で人と関わりあい、その関係性こそ人の心を闇を照らす小さな光ではないだろうか?
基本的に生きる事なんか、
そんな素晴らしいモノじゃあ無いのだ。
ゲロにまみれた薄汚い道をヘロヘロになりながらも、全力で突っ走る。そして気がつけば老人になり死を迎える。
そういうものだ。
ただ今を全力で生きる、それこそが生きる、ということだと思うのだ。
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