The Catcher in the Rye

日記です。無断転載、無断引用、オーケーです。

安楽死と、死>生。

最近、老老介護に端を発した、無理心中の事件をニュースを、しばしば目にする。日本は兎角、長生きがバラシース(素晴らしい)という、長寿やっほほーーーい!! という世界観ではあるが、本当に、その価値観は正しいのであろうかね? と疑問に思うのだ。

 

死は悪、生は善、という価値観は確かに分かりやすい。分かりやすけどさ、世の中には、どうにもならない困り事というものがあるのだ。努力すれば、どーにかできる、なんでも、かんでも可能だぜっ!! と言うけれども、そんわけはない、できることは

、できるけど、できない事はできないのだ。

 

例えば病気、ふらふらで痛くて、惨めで苦しくて、働けなくて、、、、どう考えても罰ゲームとしか言いようがない状況下で、生きろ! 為せば成る! と言う方が残酷というものであろう。

 

また長寿もそう。近所で、すごいエリートだったお爺さんがいる。大きな家に住んでいて、インテリで、仕事はエリート公務員だったって人だ。人格者で、誰からも慕われていた。わたしは、その人を見るにつけ、こういうのが人生の勝者だって思ってた。

 

でも、ある日の休日、散歩してた時、その人にあった。話す、意識はしっかりしているけど、自分の家の場所が分からないという。しかし、それ以外の記憶は鮮明で、多分、まだらボケという状況なんだと思った。私は彼を家まで送ったのだが、なんかこー人生の切なさのようなものを感じた。

 

彼は、これから、時間の経過と共に、さらに自我を喪失していくのだろうし、その状態で生きていくのは、不遜にも自分だったら耐えられない、と思ってしまった。

 

我々は、有限の時間の中で生を享受している。最近、放映されていたアンナチュラル というドラマで「人間は、たまたま生きているだけだ」というセリフがあったけれども、ほんと、そう思うのだ。

 

人はすべからく老化していく、病になる。そもそも、人間の身体機能というは、本来的に40年で減価償却される、という説もあって、それ以降は現代科学の力で延命している、だけとも言える。

 

そして延命には限界がある。いつか、死>生、という状況に我々は確実になるのだ。人生なんか、健康な若い肉体があって初めて幸福なわけで、そうじゃないなら苦しいだけじゃんね? なのだ。

 

だから、単純に生きていれば素晴らしい、なんてのは欺瞞だ。人間は、長生きせず、どこかの時点で、死ねる方が、絶対的に幸福だと思うのだ。

 

そのラインが60か70か、は分からないけど、でも、どこかの時点で、死ぬ方が幸福なら、それを手助けする制度が、存在していた方が良いのではないか?

 

つまり安楽死の導入を合法化して欲しいって私は思うのだ。

人は選択して生まれてこない。しかし、死は選択できる。

 

死は、ある意味で救いだ。

過酷な生を終わらせる救い なのだ。

人の死をみて、涙を流す必要はない。どうであろうか?■