The Catcher in the Rye

日記です。毎週、日曜日更新の予定です。無断転載、無断引用、オーケーです。

正義の正体は悪な理由。

日本の世間には正義、

あるいは、正しい価値観、というものが溢れかえっている。

 

タバコはダメだ。

男は経済力がなかればダメだ。

真面目に働かないとダメだ。

生活保護はダメだ。

etc、etc、無限に続く、正しさの積み重なるetc、、、、。

 

世界に目を移せば、

イスラム的価値観が正義と考えるムスリムがいて、

欧米圏の民主主義的な価値観と衝突している。

 

欧米先進国は自国の価値観を正義と信じているし、

イスラムイスラムの教義を正義と信じているから、

どこまでいっても交わらない。

 

割り切れない素数だ。

 

こうして考えて行くと、

我々が考えている、正義や正しさは、

疑わしい、ということが分かる。

 

我々、あるいは個人個人が正義や正しい、と信じている事象も、

別の他者やグループに所属している者、あるいは見地から見れば

悪でしかない。

 

つまり、正義や正しさ、など、

所詮、どの個人が見るか、

どの時代から見るか、

どの国や環境で育ったのか、

というバイアスがかかった、まがい物なのだ。

 

正義や正しさ、は絶対的な価値観ではない。

それは宗教的なもの、あるいは迷信的なものでしかない。

 

ツバメは低くとんでれば、明日は雨とか

B型の人間はズボラとか、そういうレベル。

 

だから、こそ、正義をふりかざすのは危険だ。

他者からすれば、それは悪でしかない、ということには往々にある。

 

他者のことなど、我々は理解不能なのだから。

 

じゃあ、

神にも慣習にも、すがれない現代社会に住む我々は

どこに縋ればいいのか?

どこに立脚点をもてばいいのか?

 

答えは論理しかない。

 

プログラムをコーディングしていくように、

一変の曖昧さのない論理、これが、

これからの時代を動かして行く。

 

Aという理由があるから、B。

 

こういうデータや統計や事実をベースにした話しか、

成り立たない。

 

神も宗教も、慣習も、正義であり悪であり、

曖昧としすぎ、他者や異なるグループを横断する軸には

なり得ないのだ。

 

これからの時代は、言葉の力で、論理的に説明できうる

価値観だけが流通していく。

 

神は死んだのだ。

人間が神を作り、そして殺し、

あらたに論理という名の神が誕生した。

 

それが、現代、我々がいるポイントだ。▪️