The Catcher in the Rye

日記です。毎週、日曜日更新の予定です。無断転載、無断引用、オーケーです。

映画『告白』の感想

Netflixで邦画の「告白」をみた。

2010年の映画なのだけど、心に刺さったので感想を書きたい。

 

主演は松たか子氏で、彼女はシングルマザーで中学校の教師役。

ある日、学校のプールで幼い娘が、

あやまって溺死する。

 

しかし、死因に疑問を抱いた彼女は、

自ら調査しサイコパス傾向のある自分のクラスの生徒A

自然死に見せかけた犯行で、自分の幼い娘を殺害したことをつきとめる。

 

そこから、彼女の生徒Aに対する復讐劇が始まる、という内容。

 

この映画で印象に残ったのは

娘を殺害した生徒Aには罪悪感がまったくないというところ。

 

Aは、ただただ、自分の欲望のまま、

松たか子氏が演じる教師の子供を殺す。

 

つまり、Aには、善悪の感覚が欠落しているわけだ。

 

だから、こそ、松たか子氏が演じる教師は、

善悪の感覚や、逮捕に対する恐怖をもたないAに、

決定的なダメージを与えられる方法を模索し、実行する。

 

その方法は、映画を見てもらうとして、

この映画で、まず感じたのは

結局のところ、

人間同士は自国人同士ですら、

理解し合えない、

ということだ。

 

我々、日本に住む人間同士、価値観が近いと言ったところで、

やはり他人で、

それぞれ考え方が異なる。

 

人を殺すことを何とも思わない人間もいるし、

人の命が重いという人間もいる、

そもそも、

容姿が美しい人もいれば醜い人もいて、

裕福な人もいれば、貧しい人もいる、

圧倒的な格差が我々には生まれながらにあり、

ゆえに、

圧倒的な価値観の差異が我々にあっても、

当然といば当然なのだ。

 

つまり、

我々は、「他者を理解できない」のだ。

 

自分以外の人間のことなど、結局、理解不明の存在であるのだ。

 

だから、よく男は女を理解できない、とか

女は男を理解できない、とか

他人の考えが分からない、とか

最近の若者が理解できない、とか

あらゆる他者を理解できない、というフレーズが

世間に溢れかえっているけれど

そもそも

我々は自分のことしか理解できないわけだ。

 

日本は、

島国で均一的な価値観をもっていると考えられており、

それゆえに、

他者を、自己と同一の価値感をもっていると

決めつけがちだ。

 

だが、違う。

 

日本に住む1億3000万人が、

それぞれの違う価値観を保持している。

 

我々は、個人個人、異なる価値観をもち、

個人個人、異なる「正義」をもっている。

 

映画の犯人のように、他者の子供を殺害することを

正義と思う人間もいる。

 

だから、自分の価値観を絶対と思わない、

他人は自分と違う価値観をもっている、ということを認識することが

まず他者とコミュニケーションする第一歩なのかも、  

と感じた。

 

我々は、結局、どこまでいっても孤独なのだ。▪️