The Catcher in the Rye

日記です。毎週、日曜日更新の予定です。無断転載、無断引用、オーケーです。

障がい者とカオサンストリートと生きる権利

2016年7月、神奈川県相模原市障がい者施設で大量殺人を犯した犯人がウィキペディアによると、

 

「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」

 

「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため。同じように考える人もいるはずだが、自分のようには実行できない」

 

などと言っておるそうだ。

 

この事件を受けて思い出したのは私が若い頃、バックパッカーでタイのカオサンストリートに行った時の事だ。

 

カオサンストリートバックパッカーの聖地と呼ばれておって、金の無い若い欧米や日本のバックパッカーが集まっている安いホテルが密集している地域だ。

 

そこの小汚いバーの道に面した外の席で夜の12時くらい私は、タバコを吸いながら、ビールを飲んでいた。

 

夜の12時といっても若いバックパッカーが集まる地域なわけで、もう殆どお祭り騒ぎだ。

 

ギャーギャー楽しそうに騒ぐ白人の若い男女を見ながら夜風に吹かれながら、道の一角を見ると、人だかりができていて

その真ん中で手足の無いタイ人のオッサンが転がったりスケボーに乗ったり芸をして、観光客からお金を貰っていた。

 

タバコを吸いながら、彼を見ながら考えた。

 

手足が無い人生、転がって見世物になり金を稼ぐ人生、自分だったら耐えられないないと傲慢にも思った。

 

だけど、同時に思ったのだ。

 

彼は生きたい、と思っていて、彼のできる精一杯で仕事をし稼いで、生きている。

 

そこに対し、他者が、相模原事件の犯人のように「障がい者は死んだ方が良かろう」「周りに迷惑をかけるから障がい者はダメだ」と言ったとして、なんの意味があろう、と思うのだ。

 

そもそも人間なんか生きてるだけで、周りに迷惑なんかかけまくりだし、健常者だってカスみたいな人間は山ほどおる。

 

だから、障がい者も健常者も迷惑という意味じゃ何も変わらない。

 

それに生きる権利とかいうけど、

そんなん「本人が生きたい」という意思があるだけで充分だよ。

 

どんな人間であれ、産まれただけで生きる権利がある。

 

で生きたいけど先天的後天的にハンデがある人がおって彼ら彼女らが「生きたいと願う」なら、助けてやればいいじゃないか? と思うのだ。

 

ネットを見ると、他者を裁く意見が多い。女性が「キモくて金のないオッサン」は死ねとか書いてたり、男性が「ババーは価値がない」とか、ほんとウンザリだ。

 

他者を裁けるほど、お前らは偉いのか? と問いたい。

 

生きたいと願い必死に生きてる人間を嗤う権利なんか誰にも無い。

 

それの何がキモいんだ?■