The Catcher in the Rye

日記です。毎週、日曜日更新の予定です。無断転載、無断引用、オーケーです。

人工知能が人間に勝てない理由

近年、人工知能の話題が熱い。グーグル傘下のディープマインド社の開発した人工知能、アルファ碁が中国最強にして世界最強の棋士、カケツ氏の圧勝したニュースは記憶に新しい。

 

また翻訳者や医師やトラック運転手などが将来、人工知能に置き換わっていく可能性を秘めていると言われている。

 

これをうけて、将来、人工知能が人間を超え人類を亡ぼすのではなかろうか?

などというディストピア映画さながらの未来予想も現実味を帯びてきた。

 

だが、しかしだ。高度な能力を持ちうる人工知能も絶対に人間を超えられないと私は思うのだ。

 

それは何故か?

 

人間は確かに知性や能力という面でITに負ける。人工知能が行う記憶能力やデータを膨大なインターネット上から収集し判断に生身の人間は敵わないのだ。数年もすれば、人間のような個性や性格すらもプログラミングされたアンドロイドも出現するであろうし、また、その人工知能を生身の人間そのものの外郭に入れ込めば、もはやソレは人と見分けすらつかない、という可能性もある。

 

外形的にヒトと変わらず、ヒトを圧倒的に能力で超え、さらに自我すらも確立したAIに我々、人類は圧倒される可能性は確かに高い。機械は判断を間違わないからだ。さらに知性をもったAIは自己修復を繰り返しバンパイアの如き永遠の命を持つだろう。

 

だが、それでも機械はITはAIはヒトを超えうる事は無い。

 

ヒトは感情で動き、あらゆる外形的な情報や状況に左右され愚かな失敗を繰り返す。この失敗という要素が、人間の弱点であるが、この失敗という要素が実は重要なのだ。失敗、愚かなありえない失敗との偶発的あるいは必然的な邂逅こが、ヒトの真骨頂なのだ、ありえない判断、ありえない失敗、そこから、こそ、新しい何かが生み出される。

 

失敗は成功の母と言うが、もっと言えば失敗こそが最も重要なのだ。愚かでバカで下品な目を覆いたくなる失敗、それこそが人類の真骨頂なのだ。

 

たとえば、日本は終身雇制度や文化的背景があり極端に失敗を恐れる、他方、欧米圏は多くの失敗を許容するカルチャーがある。結果、欧米圏には数々の発明や優れた文化が生まれる。これだけで、いかに失敗が重要か、わかるはずだ。

 

愚かな失敗をし、起き上がり、失敗し、

を続けるヒトに、正確な判断を繰り返し失敗をしない機械は絶対に敵わない。愚かさこそ、我々、生身の身体をもつヒトのアドバンテージなのだ。

 

そして、ヒトのAIに比して最大最強のストロングポイントは「死」だ。人は産まれ老い死んでいく。他方、アンドロイドは永遠に死なない。一見、アンドロイドの方が優秀に見えうるかもしれないが、永遠の命、永遠の継続、というのは、愚かなのだ。

 

過去の経験から学べ、というが、確かにソレは大事かもしれないが、過去の経験則は、常に外形的な状況変化に対して、古い判断になる。また経験ゆえに新しい思想を受け入れられなくなる。変化こそが常に進化に重要なのだ。

 

そして変化、進化に最も重要な要素は破壊だ。全ての判断をゼロベースに戻す、という作業が重要なのだ、ゼロに何かを掛けてもゼロというが、嘘だ。ゼロ、なんの偏見もないゼロこそ、新しい何かを獲得しうるのに最も重要なのだ。そういう意味でヒトの赤ちゃんというのは最大最強の知性体なのだ。

 

機械には死がない、ゆえに進化に限界があり、ヒトには最終的に絶対に勝てない。膨大なインターネットの海の情報をベースに出来うる限り究極の判断を繰り返す、AI、その無謬性と継続する永続性。

 

人は無謬性どころか失敗を繰り返し、泣き叫ぶ、永続性どころか100年ほどで死ぬ。

 

機械から見ればヒトは脆弱で一瞬の時間しか生きられない。しかし、だからこそ、それゆえに機械は人間に勝てない。

 

死はヒトの最大最強の武器なのだ。

それに永遠に継続する完全な知性、など醜いでは無いか?

 

完全なモノこそ実は不完全で、不完全こそ、実は究極の完全なのだ。◼️