The Catcher in the Rye

日記です。無断転載、無断引用、オーケーです。

漫画「少女不十分」の感想。。。

「少女不十分」という講談社から出版されている漫画を読んだ。


少女不十分(1) (ヤングマガジンコミックス)

少女不十分(1) (ヤングマガジンコミックス)

化物語等で有名な西尾維新原作の漫画だから、なんとなく読んでみたのだけど、衝撃だった。

以下はネタバレ全開なので、それを了承の上で読んで欲しいです。

これは、児童虐待の物語である。このテーマは、いろいろな作品で扱われているけれど、その解釈の仕方が興味ぶかい。

主人公の親に虐待を受けている少女は、親の躾という名の虐待の命令を信じ実行する。

その行為の裏にあるのは、親に対する恐怖かもしれないが、実際は、子供にとって親という存在は絶対的な神のような存在に感じられ、結果、信者たる子供は、その親の教義に絶対服従するというわけだ。

カルト宗教と、その信者の関係性というわけだ。

ただ親子関係というのは、おうおうにして、このような構図を描きがちだと思う。家というのは、閉鎖的な環境で、ある意味、宗教的なのだ。

だが、しかし、だ。

どんなカルト宗教の指導者も、客観的にみれば、たいした人物じゃない。神でもない、ただの弱い人間だ。

同様に、親という存在も、実際は、ただの弱い人間にすぎない。

自分と同じ、くだらない弱い人間なのだ。

そこに気がついた時、人は支配の呪縛を、越えるのではないか? と思う。

以下抜粋


「とりとめもなく
ほとんど共通点のない
それらの話だったが

でも根底に漂うテーマは一つだった

道を外れた奴らでも
間違ってしまい
社会から脱落してしまった奴らでも

ちゃんと、、いや
ちゃんとではないかも
しれないけど

そこそこ楽しく
面白おかしく生きていくことができるんだ

そうだ

だから聞いてくれ

U

君の人生は
とっくに滅茶苦茶だけど

まぁ、、なにも

幸せになっちゃいけいない
ほどじゃあ
ないんだよ」⬛️


供託金は、やはり間違いだぁ。。。

最近、YouTube橋下徹さんの動画を見ていたら興味ぶかいものがあった。


それは、橋下さんが、ゲストと対談する番組で、学者の三浦瑠璃さんと対談しているものであった。


その中で、三浦さんが橋下さんに、また政治家にカムバックしないのか? と聞くと、橋下さんは、政治はお金もかかるし、もう政治家は考えていないと答えた。


そして、三浦さんこそ政治家に立候補して欲しい、という。


また橋下さんは日本では政治家になるのに、お金がかかるが、お金を稼げない人間は、あまり能力が無いと考えられるので、現状のままで良いと思うとも言っていた。


、、、さて、ここなのである。日本は、とにかく政治家のなるのに、お金がかかる。


特に立候補の際にかかる供託金が300万とか500万とかかかる。庶民の平均年収が400万とかいう時代に、これは、あまりに高額だと思うのだ。


橋下さんは能力ない者は立候補しなくて良いと仰っていたが、世襲の政治家など、能力以前に親の援助で政治家のなっているではないか?


だから、やはり、憲法にあるように、貧富の差で被選挙権が左右されうるという状況は、間違い。


絶対。


民主主義とは、国民が誰でも選挙にでれうる、という前提があってはじめて機能するのだ。


まあ、なにもかもイカサマのような国だから、なかなか、どうにも、なんないとは思うけれども。。。⬛️








自殺を考える。。。

最近、しばしば自殺に関するニュースを目にする。


実際、日本は、結構なレベルの自殺大国だったりする。


自殺、、、、そこに至るという事は、のっぴきならない理由があるのだと思う。


死>>>>生、という状況下に追い込まれている人間に、自殺は良くない、、、と言った所で、どうすんじゃい、って話である。


人生、実際、厳しいしな。


だが、それでも、敢えて言いたいのだ。


人間、取り返しのつかない失敗など、ないと。


何度、転んでも、絶望的に見える状況にも、少ないながら、生き抜ける可能性があると思うのだ。


気力が削がれ動けない、かもしれんが、そこで、また歯をくいしばって、前に進む意志を保持すれば、道は開けていく、と思う。


人生なんか壁と失敗の連続だ、そのたびに、なんとか乗り越えていくのが人生なんだと思う。


勇気を、それでも、突き進む勇気を。


人生に、取り返しのつかない失敗など、無いのだから。⬛️



【サッカー】新・日本代表に望むこと。。。

サッカーは日本代表監督が、元広島の監督の森保一さんに決まった。


カウンターサッカー主体の監督だから、個人的には、あまり日本代表の監督にはフィットしない、と正直、思っているけれど、人格者で有名な方だし、実績もスーパーだから、良い結果を出して欲しい、って願っている。


ただ、これからの日本サッカーの代表で大事だと思う点が2点ある。


1)アジアと世界で戦い方を変えない。。。


日本代表って、アジア予選とサッカーワールドカップ本戦で、戦術を大きく変える傾向がある。


アジアと世界では、相手のレベルが違うのだから当然かもしれないけど、これだと継続性が無くなる。


だからアジアで戦った戦術で、そのまま、世界の舞台で試合して欲しいって思う。


2)結果を気にしない。。。


日本代表のサッカーを見ていると、勝利という結果に拘りすぎている。


ゲームは勝つためにするのだから、当然なのだけれど、自分の持っている力を、自然にだして、その結果を受け入れる、という考え方にシフトした方が良いと思うのだ。


結果に拘るあまり、選手も監督もガチガチに緊張してしまっているし、返って、良くない結果に繋がっているように感じるのだ。


勝つ、というより、良いサッカーをする、という方向に代表サッカーは舵をとるべき。


良い内容のサッカーをできれば、負けて良し、だと思うのだ。


結果重視のクラブのサッカーと違って、代表は、オールスター戦みたいな部分が大きいし、ゆるく楽しむぐらいで良い。選手もファンも監督も協会も。


とまあ、好き勝手書いたが、久方ぶりの日本人監督であるし、どういうゲームが観れるか楽しみにしている。


スポーツって、本当、良いものだと思いますわ。⬛️








漫画「パーフェクト ワールド」の感想。。。

漫画「パーフェクト ワールド講談社出版、有賀リエ著、を読んだ。


とりあえず泣けるし、読ませる。本当にオススメ。


パーフェクトワールド(1) (KC KISS)

パーフェクトワールド(1) (KC KISS)



内容は、車椅子生活の障がい者の男性と、健常者の女性の恋愛模様なのだけれど、男性の方は男性の方で女性を幸せにできるか? と常の葛藤しておるし、女性の方も、いろいろと葛藤がある。エリート・イケメンに言い寄られちゃったり、揺れる揺れる。ムフゥーーーー、って感じどえすわね。。。


やはり、読み物としての恋愛ストーリーは、ハードルがあればあるほど燃えるし萌えるな〜、と思いますよ。


シェークスピアロミオとジュリエットから、連綿と続くパターナリズムだけどさ、やはり王道は面白い。


話の中で、男性が健常者で女性が障がい者というカップルが出てくるんだけど、男性は彼女のために、夢を捨て、貯金も使い、人生をかけて彼女を愛するんだけどさ、それが逆に彼女の負担になって、女性は自殺を試みる場面が出てくる。


間一髪、自殺は止められるんだけど、その後の彼が友人に漏らす言葉が心に刺さった。


「なんで、楓も、親も、あの建築士も、どうして勝手に人の幸せを決めるんだ」


人間の幸福は、他者には決められない。


自分で選択するしか、無い。



人生なんか、しょせん、ドブさらいですわ。⬛️



お金とは何か。。。。

最近、ユーチューブを見ていて印象に残った動画がある。


それは日本のユーチューバーが作成した動画で、ホームレスの男性に100万円をプレゼントして、1日で使い切る事を条件に、彼がどう行動するか撮影して、面白おかしく編集したものであった。


最終的にホームレス男性は、ホテルに泊まって一日を過ごしたい、と言いホテル代だけを抜いて残額をユーチューバーに返した、、、、という感じであった。


コメント欄を読むと、感動的だ! なんていうコメントが並んでいたが、

私が受けた印象は、気分が悪い、というものだった。


気分が悪い。


確かに、人間は生きるのに、お金が必要ではあろう、あろうけど、そのお金で人を操る事をするようになったら人間終わりだな、、、と感じるのだ。⬛️


容貌とは何か。。。

最近読んだニュースで、顔にアザがある女子大生が、外見で可哀想だと思われる事が辛い、ゆえに、だからこそ、インスタグラムで自分の顔を投稿している、、、というものが印象に残った。


我々は、道徳として幼少のおりより、「人間は外見では無く、中身だっ!!!!」と教えらえ育つ。


外見で人を判断、区別する事は下品である、、、と。


しかし、だ。実際問題、容貌によって、あらゆる格差が生まれるのも、また事実である。


テレビをつければ美しい女優や俳優、アイドルが、評価されているのは、事実だ。


これは、もう、我々は道徳はともかく、人間を容貌で差別しているという事を、もう認めざるを得ない。


得ないのだけど、しかし、思うのだ、俳優や女優、アイドルといった外見で売っている職業はともかく、そうでない仕事にまで容貌を重視する我々の社会は、如何なものか? と。


我々の容貌は、誰であれ年齢とともに衰えていく、つまり、誰しもが、容貌によって差別されるサイドに回っていくのである。


なんか、もう、容貌至上主義の価値観は、つまるところ、我々の首を、自ら締めている、としか思えない。


外見を売りにする仕事があっても良ろしいと思うし、恋愛やらで見目麗しい人間が人気なのも良い、と思う。


だが、それ以外の仕事で、生活で、あまりに外見を重視する社会は、非常に息苦しさを感じる。


もう、少し、顔顔、いうのを、やめませんかね? と思ったりする。


例えば、女子アナにニュースのように顔にアザのある女性がいても良いではないか? と思うのだ。


ニュースをしっかり伝達できれば良いのではないか? 


コンビニの店員に、病気や事故で顔が潰れた人間がいても良いではないか、と思うのだ。


きちんとレジの仕事ができておれば良いではないか? と。


行き過ぎた外見至上主義は、我々に跳ね返ってくるのだから。


人間は、自分自身に、復讐される。



他者ではなく。。。⬛️